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ポパーの反証可能性 

いきなり気が重いけど・・・

ポパーの反証可能性 

「仮説(法則)」から導出された帰結を観察データと照らし合わせる際に、たまたま得られたデータと帰結とが一致したからといって、そのことは法則が正しいことを論理的には意味しない。論理的に許容されるのは、法則からの帰結データと食い違うときに「法則は正しくない」との判断を下すことのみである。つまり、法則は「反証」されることはできても、それが真であることをポジティブに示すことはできない」

佐和隆光著 「夢と禁欲」、pp.74-75。




 どうも社会科学研究者の中にはこの「反証可能性」を反故にして自分は「神」にでもなった様な人がいる。マキャベリの偉大なところは反証可能性を告白し、それを克服しようとはしなかったところって佐々木毅先生も書いてなかったっけ。
 あ、じゃファウストからお気に入りを引いておく。

「天上への途(みち)はとざされている。
眩しそうに上を見て雲の上に自分に似たものがあるなどと空想するのは馬鹿者のすることだ」

ゲーテ著「ファウスト(ニ)」、高橋義孝訳(新潮文庫)、p.443。


 
 「人間は、どんな瞬間にも満足してはいられない」(同上)から天を見上げてそこに人の影を見る。「いつか自分もああなれたらなぁ」と思いながら。だけど人間は神様にはなれない。だからこそ「反証可能性」を宣言して、自分は「神」ではないと「人間宣言」しなきゃならない。じゃないとプラトン以降連綿として続いてきた過去2000年の「イデアを巡る旅」を繰り返すだけじゃないか。

ウィキペ<反証可能性>

ここの説明もわかりやすい。

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