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女性の恋愛は男性のそれと非対称? 

Masaoさんの「純粋なココロ2.0」

恋人選びは『好意』ではなく『セックス』で決まる。ゆえにすべての恋愛論は、『愛情論』ではなく『欲望論』である。



というエントリーを拝見した。真に正しい。

かいつまんで言ってしまうと女性の「恋愛」とは「妊娠のリスク」を高める可能性があるので男性のそれと同等ではないという主張。よって「愛せよ、されば愛されん」は「男性→女性」という図式では成り立たないこともあるのではないかとおっしゃっていた。

女性にとって「好意はあるけど、セックスはしたくない異性(=友達)」と「好意があり、セックスもしたい異性(=恋人)」の間には、マリアナ海溝よりも深い溝がよこたわっているということです。



もっと極端にいうと男性は妊娠のリスクがないために女性は常に「恋愛」対象であるのに対して、女性は男性を「恋愛」の対象なのかそうじゃないのかを線引きする必要がある、ということなのかな。そういう意味では女性は真っ当に生きていくためにも強(したた)かさが必要なのかもしれない。

ただ「好意があり、セックスもしたい異性(=恋人)」という定義は「当人」のセックスもしたいという欲望から純粋に導かれるのか、イマイチ不明。恐らくそんな単純な理由だけではないのでは。

このエントリーを見て、少し前に流行った養老孟司著「バカの壁」の冒頭で確か養老さんが生徒に「妊娠中絶」のビデオを見せてそのレポートを集めたところ女性と男性の感想に明らかな「差異」があったことを発見し、それを切欠(きっかけ)に人間には越えられない「バカの壁」がある、と主張していたことを改めて思い出した。

何にせよ人は「手段」であって「目的そのもの」ではないってことか。

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